G線上のアリア,なぞる指先

五線譜の上に散りばめられた硝子の上を私は今日も一歩一歩踏みしめながら歩いていく,裸足で歩いていると存外人間は砂糖菓子のように脆い存在なのだな,などと哲学的なことを考える,硝子は踏みしめるたびパキパキと音を立て降り積もる雪のように煌めいて,それこそ砂糖菓子のようだった,鋭利に尖った破片の一片,小さな素足からしとどに流れ出る血液,赤と白,混ざり合って,どちらのものでもなくなって,恋の色,まるであの時みたいじゃない?五線譜を爪先でなぞっても,貴方からの返事は返ってこない

「キミはただ,抱きしめられたかっただけなのにね」

シーツの中で貴方は諭すように淡々とつぶやく,私には,ロミオが飲み干した劇薬のような即効性のある鳥の一声,違う,私は貴方の全てを愛している,口も目も耳も花も頭のてっぺんから爪先まで,F分の1の揺らぎの成分が含まれた,だれもを魅了するその声も,伏し目がちに笑った時に出る目元の皴も,その衰えた身体に包まれる,節くれだった指先が織りなす亜麻色の乙女,月光,カムパネルラ,鉄盤に触れる私の手の甲に,貴方の掌が重なって,白と黒,我慢もできずに深い闇夜に落ちていく,アダムが飲み下したリンゴの破片を思わせるようなのどぼとけが上下する動きを

私はじっと,見つめている

「キミはただ,抱きしめられたかっただけなのにね」

それでも,貴方が拒否できないことを私は知っているから,貴方ののどぼとけにたたずんだ林檎の欠片を凝視する,間抜けな,声にならないへたくそな歌声が,今日も響いている,貴方だって,私に爪先でなぞられて,絆されちゃっただけなのにね

五線譜に血液と精液が飛び散って,白と黒,林檎,下手くそな歌声,フォークソング

一連の行為で溶かされた思考の中で,ふと,キミが弾くG線上のアリアは君自身を表しているねと言われたことを思い出す,揺さぶられる意識の中で勝手に唇から零れ落ちる,貴方はまた目を伏せて笑う,逃げられないくせに,間違いだと,正常な人間のまま逸脱した行為を繰り返す

「ねえ」

言葉を返す,伏し目がちに,紅い唇が弧を描く

「私たちが間違っているなら,世界はもっと間違っているわ」