私の狂気を見てよ

私の職場には一台のテレビが設置されていて、午後のお昼休憩時にのみ使用を許可されている

まぁ見たい番組など見れずNHKの視聴を強いられているわけだ、平日のお昼時、ましてやNHKなど見たことも無く、最初はただ環境の変化への慣れの一種だと感じながら、ただ何かを収集するわけでも無く視覚のみでただぼーっとテレビを眺めていた

 

「半分青い」

第一話から見てるわけではないのでよくは分からないが、どうやら田舎町から上京したスズメという少女が、漫画家になる為に紆余曲折する短編ドラマだ

正直、セリフの言い回しや展開、1980年代の話なのに格好も街並みも新しすぎるところがあまり好きではなく、あまり集中して見てなかったのだが、先週放送された話がとても考えさせる話につき、暇な時間を活用しここに私の考えを書き記しておく

 

簡略して書くと、前記の漫画家を目指す少女スズメが一緒に上京した幼馴染にフラれ、幼馴染から貰った笛?をアシスタントしてた先生に投げられてしまった

先生:「その激情を内側に留めるんじゃない!今お前が縋るのは笛なんかじゃない、ペンだ、早くペンを握って感情を表現しろ!」

スズメ:「傷つきました、私はそんなに強い人間じゃありません、先生は人間ですか?表現者になるためには自分を傷つけなきゃいけないんですか?それなら表現者は皆人間じゃない」

※うろおぼえです

 

表現の世界からどんどん遠退いていく感覚がじわじわと侵食してきつつある、今の自分にとって大きすぎる衝撃を受けた、まぁそのシーンを見た後寝てしまったのだが

 

改めて表現とは何かの初級的なものを考えるに至る良い機会だった

まず私は何も少女漫画に置いて自分を傷つける必要なんて一切無いと思った(語弊あり)

そもそも表現の世界において自分を傷つけなきゃ良い作品が書けないというジンクス的な物も存在しないし、実際掠り傷一つ作らず売れっ子という肩書を手にした人はごまんといるだろう、まして自分を傷つけながら何かを作ってそれがメディアへの露出、或いは作り手の名前が世に広がること自体とても少なく、その創作活動自体のジャンルにもよると思う。

 

世に普及するものは常にニーズナブルなもので、それは私達の身近に転がっている物だってそうだし、創作物だって同じだ、寧ろ創作物のほうがニーズに関しては敏感だ

 

本屋に行けばマンガや小説がずらりと並び、映画館へ行けば10本程の作品の中から今日はどれにするかと選ぶことができる、だが、これは当たり前のことだが全員が全員小説を書いてそれが書籍化されるワケではないし、映画に至っては映画監督として活動すること自体が難しい、世の中に「目指している者」が多い中で、メディアに出て認知されている人は本物の成功者だ

 

話が少しずれたが、名乗ろうと思えば誰でも表現者を名乗れるし、傷つける傷つけないの違いとは一体何なのかと

ここからは自論と自分の話になってしまうが、私はニーズナブルな話が全く持って書けない、人を傷つけるような作品しか書けない、ていうか最早傷をつけるどころではなく人を切り刻むくらいのレベルで笑いも皆無な作品しか書けない

青春とかスクールライフとか、自分が書くととてもつまらないのだ、しかも頭まで痛くなる、ていうかそもそも何処にもないような作品を作りたいという気持ちが自分の中で明確なので精神が拒否する、私は今後も自分を傷つけるタイプの表現者であると思うしそうでありたいと思う

 

ここで自分を傷つける点に関して掘り下げると、傷というのはある種の表現であり、その表現は人の記憶を手繰り寄せ、或いは土足でなじりつけるものである、それは傷のなめ合いにも等しく、安定剤ともなりうるものだと私は思っている

だが、その傷の表現で救われる人なんていないと思うし、世に散りばめられた希望溢れる作品に救われる者のほうが圧倒的に多いだろう、安定剤で病が治ることなどなければ、舐め合いで傷は治らない

 

だが、これは私の押しつけがましくも卑しい持論でしかないが、傷を用いた作品にしかない良さとして、人々の心に直接寄り添えるというものが挙げられるのではないだろうか、それは同じく傷をついてきた人間にしか呼応しないモノなのかもしれないが、なぜか海の向こう側で語りかけられていたものが、すぐ傍で一緒に横になってくれてるかのような親近感は傷を用いた創作物にしかなせない業だと思う

 

また、これもまた卑しい話だが、人の頭に強くその作品をインプットするためには「衝撃」が凄く大事だと思っている、それが傷という表現と表裏一体なのだ、まぁその衝撃や傷も、結局のところは呼応できるような、これもまた個々の表現によるが、リアルに表現したり抽象的に表現したりと、ただ作者の悲劇を押し付けるようなことにはならないようにしなければならないのが難しい所だが

 

まぁ、ここまで書いて何だが表現という根本的なものにこんな2000文字かけて書くこと自体不毛なことなので、書きたいもの書けばいいと思う、スズメが怒る理由もわかる、だがそれは自分の表現の軸がブレてるからだと、まぁたかが昼に流れてる15分間のドラマにこんな上から目線で物言うのもどうかと思うが、だが自分の中で何が書きたいのかを明確にする作業は表現者にとってブレないためにも大事なことだと思う

 

案外書ききれない思いばかりだがとりあえずここで終わりにする、ばーい